2026年度 豊島岡女子学園中学校(第1回)の国語を、大問一・大問二の全設問について解説します。大問一は中村桃子さんの『ことばが変われば社会が変わる』(論説文)、大問二は沖田円さんの「ミートドリアと星の声」(『丘の上の洋食屋オリオン はなむけのひと皿』所収・物語文)です。論説文では「正しい日本語観」と「選択する自由」の対比を、物語文では老猫・茶々との別れを前後にした主人公・文の心の動きを、正確に追えるかが問われました。この記事では、対比の構造や人物の関係、心情の変化を情景アニメ入りの図解動画で整理してから、各設問を根拠つきで解いていきます。
出題構成と全体の講評
- 大問一は論説文(中村桃子『ことばが変われば社会が変わる』)で問一〜問十、大問二は物語文(沖田円「ミートドリアと星の声」)で問一〜問八という構成です。
- 記号問題が中心(大問一で7問、大問二で6問)で、抜き出しが各大問に1問、漢字・熟語が1問あります。
- 記述は二問です。大問一の問九(七十字以上九十字以内・「前者は〜、後者は…。」の形)と、大問二の問八(五十字以内・「Aは〜に対し、Bは〜」の形)で、どちらも書き出しの形が指定されています。
- 大問二の問三は、二人の会話文を読んで答える問題です。兼好法師の随筆の冒頭を選ばせる古典の知識問題もふくまれていました。
大問一は「正しいルールに従う日本」と「自分で選ぶアメリカ・カナダ」という一本の対比で、問三〜問九までが読めます。大問二は、同じ「夏」が前半では重く、後半では祝福のように感じられる、その変化が文の心の動きそのものです。どちらも、対になるものを表に整理してから選択肢を見るのが近道です。
大問一 論説文 中村桃子『ことばが変われば社会が変わる』
要旨 「正しい日本語観」と「選択する自由」
夫や妻などのパートナーを何と呼ぶか。新しい呼び名が提案されても、なかなか定着しません。筆者は、日本語の話し手には「正しい日本語観」があると指摘します。それは、①場面ごとに決まっている正しい話し方のルールを学び、それに従うことが大切だという考え方と、②ふつうの話し手には、正しい話し方を決める権利も責任もないという考え方から成っています。
これと対比されるのが、筆者が四十年以上前にアメリカ、三十年ほど前にカナダで出会った「選択する自由」です。アメリカの教授は「何と呼んでもかまわない」と答え、カナダの小学一年生は、折り紙を習うかどうかを自分で選んでいました。一方で筆者は、細かい選択を求められる食事に疲れ、「早く日本に帰って、『A定食!』って注文したいなあ」とも思います。どちらが良いという話ではなく、選択の自由をどこまで求めるかの程度が文化によって違う、というのが筆者の立場です。
問一 二つ目の「正しい日本語観」の説明が始まる段落(五字の抜き出し)
本文ははじめに「正しい日本語観」が二つの考え方から成っていると述べ、「第一の」考え方(正しい話し方のルールに従う重要性)を説明します。そのあとで「二つ目の考え方は、『一般の話し手には、正しい話し方を決める権利はない』というものだ」という段落が始まります。この段落の最初の五字を、かぎかっこも一字と数えて抜き出します。
問二 空らん②に当てはまる言葉
「必ずこうしなければいけないという決まりがあるわけではない」と書いて(②)、その前に「場面にふさわしい言い方がある」とあります。前と後ろの内容が食い違う逆接の関係なので、「あるが」が入ります。
問三 傍線部③「他人のパートナーを呼ぶ時の選択」
日本語の話し手は、「主人」「旦那」に違和感があっても、「他人のパートナーは丁寧に呼ぶ」というルールを優先して、その呼び名を使います。違和感の中身は、その呼び名で自分たちの関係性が表現できるのか、という点です。ウは違和感を「本当に丁寧な呼び方なのか」にすりかえているので誤りです。アとイは「使わない」、エは「違和感があるため使う」と因果がずれています。
問四 傍線部④「次の言葉が出てこなかった」のはなぜか
四十年以上前、アメリカに留学した筆者は、一番お世話になっていた教授に「先生のことを何と呼んだら良いですか?」とたずね、「何と呼んでもかまわない」と答えられました。日本では、その場面に合った正しい呼び方(「○○先生」)を使えさえすれば良かったので、自分と教授の関係を表す呼び方を、いろいろな呼び方の中から自分で決めることができなかったのです。
問五 傍線部⑤「これには、驚いた」のはなぜか
三十年ほど前、カナダの小学一年生の教室で、筆者は担任の先生から日本の折り紙を教えてほしいと頼まれました。すると先生は「折り紙を習いたい人は教室の前に来て。習いたくない人は、うしろの読書コーナーで本を読んでいて」と宣言し、実際に数人の子どもが読書コーナーへ行きました。習うか習わないかという選択の自由が子どものうちから尊重され、子ども自身も自分の意思で行動している。日本では想像できない光景だったから驚いたのです。
問六 傍線部⑥「早く日本に帰って、『A定食!』って注文したいなあ」
カナダでは、昼食ひとつにも付け合わせやドレッシングを細かく選ばなければなりません。A定食は、中身があらかじめ決まっているセットです。それを注文したいということは、自分の意思ですべてを決定しなくてもよい、という気楽さを求めていることの象徴です。
問七 傍線部⑦「私たちずっと悩んでるのよ」
テレビ番組でパートナーの呼び名が取り上げられたとき、マツコデラックスさんは「正しい言葉を教えてよ」と訴えました。誰もパートナーの正しい呼び方を決めてくれないので、呼びたくても、その呼び方が正しいかどうかを気にし続けなければならない。それが「悩んでる」内容です。
問八 傍線部⑧「『看護婦』から〜普及していった」
男女雇用機会均等法に基づき、「看護婦」は「看護師」に変わり、すぐに全国へ広まりました。パートナーの呼び名が何十年も定着しないのと対照的です。違いは、国が法律で決めたかどうかです。男女の平等を重視するようになったことを受けて国が新しい呼び方を決めたので、呼び名を決める責任を負わずにすんだ人々は、それを新しい正しい日本語のルールとして受け止め、抵抗なく使うようになったのです。
問九 二つの考え方の違い(七十字以上九十字以内・記述)
「前者は〜、後者は…。」の形で、人の呼び方について何を重視するかの違いを書きます。前者(正しい日本語観)は「誰かが決めてくれる正しい呼び方」を「場面に応じて正しく使う」こと、後者(選択する自由)は「相手とどのような関係を表現したいかを考え」「自分の意志で呼び方を選ぶ自由」があることを重視しています。二つの文末を「〜を重視し」「〜を重視する」でそろえると、対比がはっきりします。
問十 漢字の書き取りと熟語の組み立て
(1) a「場面にオウジタふさわしい言い方」は「応じた」、c「男女雇用機会均等法にモトヅイテ」は「基づいて」です。送りがなまで書きます。「もとずいて」ではなく「もとづいて」(基+づく)なので、かなづかいにも注意しましょう。
(2) b「幼少期」の「幼少」は、「幼い」と「少ない」という似た意味の漢字を組み合わせた熟語です。同じ組み立ては、「減る」と「少ない」を組み合わせた「減少」です。ア「年少」は「年が少ない」、イ「少雨」とエ「少女」は上が下を修飾する形、オ「多少」は反対の意味の組み合わせです。
大問二 物語文 沖田円「ミートドリアと星の声」
あらすじ 「わたしの人生の小さな幸せを集めたら、きっと茶々の形になる」
文(ふみ)は、十二歳のときに公園で出会った猫・茶々と二十年を過ごしてきました。茶々は腎臓病で、病状は日に日に悪くなっています。看病で休めていない文を心配した夫の賢吾にすすめられ、文は丘の上の洋食屋オリオンへランチに行きます。大好きなトマトソースのオムライスなのに、心から美味しいと思えません。
会計のとき、シェフのくるみちゃんが、茶々が唯一食べてくれた猫の腎臓病用の療法食を渡してくれます。文は泣きそうになって咄嗟に顔を伏せ、顔を上げないまま店を出ました。帰り道、茶々と出会った公園の前で、文は茶々との日々を思い出します。四日後、茶々は息を引き取りました。動物霊園からの帰り、文と賢吾は茶々の骨壺を紙袋に入れてオリオンを訪れます。看板猫のネロは骨壺のそばの椅子に座り、誰かとお喋りするように鳴いていました。
二十年いっしょの茶々を看病している
看病で疲れた文を気づかい、オリオンへのランチをすすめる
文にとって「一生の宝物」
茶々と文を気にかける
文の気持ちは、ランチで沈み、療法食を渡されて悲しみと感謝が入り混じり、店を出て重くなります。公園で茶々との幸せな日々を思い出していったん持ち直し、茶々の死でもう一度深く沈んだあと、最後のオリオンの場面で前を向けそうな気持ちに変わります。設問はこの流れの上に並んでいます。
問一 傍線部①「心から美味しいと思うことができない」のはなぜか
茶々の病気は日に日に悪化していて、文はその死を受け入れられそうにないことを毎日悩んでいます。だから大好きなオムライスでも、心から美味しいとは思えないのです。イの「罪悪感」、オの「後悔」は本文に書かれていない気持ちです。書かれていない心情が入った選択肢は消しましょう。
問二 「かけがえのない大事なもの」のたとえ(五字の抜き出し)
文にとって、茶々と過ごすなんでもない一日は、そのたびに「一生の宝物」が増え続けるような日々でした。かけがえのない大事なもの=茶々との日々を、本文は「一生の宝物」とたとえています。
問三 傍線部③「茶々は、なれなかったよ」についての会話
(1) 空らんⅠには、鎌倉時代に兼好法師が書いた随筆『徒然草』が入ります。その冒頭は「つれづれなるままに」で始まるエです。アは『竹取物語』(いまはむかし、たけとりの翁といふもの有けり)、イは『方丈記』(ゆく河の流れは絶えずして)、ウは『平家物語』(祇園精舎の鐘の声)、オは『枕草子』(春はあけぼの)の冒頭です。古典の冒頭は、作品名とセットで覚えておきましょう。
(2) 猫は二十年生きると「猫又」という妖怪になるといわれ、茶々はちょうど二十歳でした。会話の中でハト江さんは、猫又には人を襲うものもいれば、恩返しをしたり、人の言葉を理解して会話できたりするものもいると話しています。文が猫又を怖がらず「茶々は、なれなかったよ」とネロに話したのは、妖怪になってでもいいから、そばにいてほしかったからです。
問四 傍線部④「泣きそうになり咄嗟に顔を伏せた」のはなぜか
くるみちゃんが渡してくれたのは、茶々が唯一食べてくれた猫の腎臓病用の療法食でした。けれども茶々は、それももう食べられないかもしれません。唇の端が震えた文は、自分が辛い思いをしているとくるみちゃんに気づかれないように、泣きそうな顔を見せまいとして顔を伏せたのです。イは「療法食を食べていた猫とその飼い主を想像すると苦しくなった」とありますが、文が顔を伏せたのは、くるみちゃんに気づかれまいとしたからです。
問五 空らん⑤に入る言葉
「顔を上げないまま(⑤)を返し、店を出た。」という文です。「踵(きびす)を返す」は「引き返す・後戻りする」という意味の慣用句で、くるりと向きを変えて店を出た様子を表します。「掌を返す」(態度を急に変える)、「恩を仇で返す」と混同しないようにしましょう。
問六 傍線部⑥「わたしの人生の小さな幸せを集めたら、きっと茶々の形になる」
公園の前で、文は茶々との日々を思い出します。茶々は文の悩みを聞き、辛いときには朝までそばにいてくれました。人生の小さな幸せを集めると茶々の形になる、とは、辛い時もうれしい時も茶々が一緒にいてくれて幸せだった、ということです。
問七 傍線部⑦「ご機嫌なときの顔つきだった」
ネロはふだん、客がいるテーブルの椅子には勝手に乗らない猫です。それなのに茶々の骨壺が入った紙袋のそばの椅子に座り、誰かとお喋りするように鳴いています。文は、今まで話に聞いていただけで会えなかった茶々と、ネロがやっと会えて楽しく会話をしているのだと考えました。
問八 AとBの「夏」の様子の違い(五十字以内・記述)
Aは、療法食を受け取って店を出たときの「重たい夏の空気が肌にもったりと纏わりついた」。茶々の病状が悪くなっていくことを悲しむ、重い気持ちが夏の空気に重ねられています。Bは、茶々の死のあと、骨壺といっしょに訪れたオリオンでの「祝福を呼ぶような夏の日差し」。茶々の死と向き合い、前向きになれそうだという気持ちが、明るい日差しに重ねられています。同じ「夏」でも、文の心情によって感じ方がまったく違うのです。
解答一覧
- 大問一 問一 「正しい日
- 大問一 問二 イ
- 大問一 問三 オ
- 大問一 問四 エ
- 大問一 問五 オ
- 大問一 問六 ウ
- 大問一 問七 イ
- 大問一 問八 ア
- 大問一 問九 (解答例)前者は誰かが決めてくれる正しい呼び方を、場面に応じ正しく使うことを重視し、後者は相手とのどのような関係を表現したいのかを考え、自分の意志で呼び方を選択する自由があることを重視する。
- 大問一 問十 (1) a 応じた c 基づいて (2) ウ
- 大問二 問一 ア
- 大問二 問二 一生の宝物
- 大問二 問三 (1) エ (2) イ
- 大問二 問四 ア
- 大問二 問五 オ
- 大問二 問六 ア
- 大問二 問七 イ
- 大問二 問八 (解答例)Aは茶々の病状の悪化を悲しんでいるのに対し、Bは茶々の死と向き合い前向きになれそうだと感じている〔という違い〕
この回から持ち帰るべき3つのこと
- 論説文の対比は「表」にしてから選択肢を読む 大問一は「正しい日本語観(日本)」と「選択する自由(アメリカ・カナダ)」の対比で、問四〜問九が解けます。左右の列に「考え方」「態度」「例」を書き出しておけば、問九の「前者は〜、後者は…。」もそのまま文にできます。
- 情景描写は、そのときの気持ちの鏡として読む 大問二の問八は、同じ「夏」が「重たい空気」にも「祝福を呼ぶような日差し」にも見えることを問いました。景色や天気が出てきたら、直前の出来事と人物の気持ちに重ねて読みましょう。
- 記号問題は、本文にない言葉が入った選択肢を消す 大問二の問一の「罪悪感」、問四の「飼い主を想像して苦しくなった」のように、それらしく見えても本文に根拠のない選択肢があります。一語ずつ本文と照らし合わせる習慣をつけましょう。
