四谷大塚 6年 第2回組分けテスト 国語
徹底解説
この記事の内容
- 大問3 物語文の解説(椎野直弥『僕は上手にしゃべれない』)
- 大問4 説明的文章の解説(中村桃子『ことばが変われば社会が変わる』)
- 人物相関図・心情変化・対比構造の図解
- 全設問の模範解答と記述のポイント
2026年5月10日に実施された四谷大塚 6年 第2回組分けテストの国語を、読解の大問3・大問4にしぼって徹底解説します。今回は物語文・説明文ともに「相手のことばをどう受けとめるか」が共通テーマで、6年生のこの時期に問われやすい力がしっかり試される構成でした。
とくに大問3の記述問題(問三-2/問六・各12点級)と、大問4の問五(12点記述)は配点が大きく、合否を分ける問題になります。模範解答の要素を確認しながら、どこを書けば点になるのかをひとつずつ見ていきましょう。
テストの要点まとめ(結論ファースト)
- 実施日:2026年5月10日(予習シリーズ6年上 第9回)
- 大問3 出典:椎野直弥『僕は上手にしゃべれない』ポプラ社(2017年2月/ISBN 978-4-591-15323-9)
- 大問4 出典:中村桃子『ことばが変われば社会が変わる』筑摩書房 ちくまプリマー新書(2024年7月/ISBN 978-4-480-68487-5)の第五章「誰が意味をはがされるのか」
- 大問3 物語文の主題:吃音を抱える中1男子・柏崎悠太が、姉の真剣な思いに触れて「拒絶→気づき→悔やみ→決意」と心情を変化させる成長物語
- 大問4 説明文の主題:アングロ・サクソン系の生徒の名前がコメディで移民風に呼び間違えられるという「権力関係の逆転」を通して、名前を奪う行為の理不尽さを描く
- 最重要記述:大問3 問六(12点)、大問4 問五(12点)
- 共通する読解スキル:要素分解と対比構造の把握
大問3 椎野直弥『僕は上手にしゃべれない』(物語文)
あらすじと出典
出典は椎野直弥『僕は上手にしゃべれない』(ポプラ社、2017年2月刊)。吃音(きつおん)の悩みを抱える中学1年生・柏崎悠太(かしわざきゆうた)が、放送部の仲間や姉に支えられながら成長していく青春小説です。
今回出題されたのは、悠太が学校の劇の本番で台詞を間違えて先生に怒られ、深く落ち込んだあとの場面です。「もうがんばらなくていい、僕が一生あんたを養ってあげるから」と言ってくれる姉に、悠太は最初「優しさを拒絶」してしまいます。しかしやがて、姉が劇を諦めて放送部に進路を変えたきっかけが「悠太のためだった」ことを思い出し、姉の本当の優しさに気づいていく――そんな展開です。
悠太の心情は「拒絶→気づき→自分への怒り→決意」と大きく動きます。記述問題はこの心情変化のどの段階をたずねているかを正確につかむことが大切です。
登場人物の関係をつかむ
・劇を諦めて放送部に進路を変えたのは悠太のため
・「私が絶対に助けてあげるから」と全身で伝える
・劇の台詞を間違え、先生に怒られ落ち込む
・姉の真剣な思いに触れて少しずつ前を向く
・放送部の同期で悠太を支える仲間
・悠太の吃音を受け入れ、言葉を待ってくれる存在
悠太の心情変化を整理する
姉のことばを受けとった悠太の心情は、場面の中で次のように動いていきます。順番にたどっていきましょう。
心情がマイナスからプラスへ一直線に変わるのではなく、「安心感」のあとに「情けなさ」が来るのがこの場面の特徴です。問六の記述はこの「安心感の直後に湧いてきた自分への悔やみ」をきちんと書けるかどうかで点が分かれます。
大問3 設問解説
姉のことばの中の空欄に入る選択肢と、文中から本文の一文を探し出す問題。
選択肢1は「自分を信じてもっと前向きにがんばればよい」という激励の意味がアになりますが、本文中の姉の発言は「もう無理しなくていい」「働かなくていい」という方向性です。よって最も近いのはイ「諦めて消極的に生きる自分を排除する」となります。
2の「だめだって、もうできないって思うまでがんばる」は、44〜45行目にある姉のことば。「だけど、なにもしなくていいっていうわけじゃない」と一点だけ条件を提示した部分にあたります。
本文中から省かれた一文「悠太を助けたい。だけど、養うなんておかしい」を【A】〜【D】のどこに戻すかを問う問題。
戻す文の「悠太を助けたい」は、姉が悠太を養いたいという意図を示します。続く「だけど、養うなんておかしい」(7行目)は、それに対する逆接です。【C】の直前で姉が一方的に養うことに関して疑問を持ち出しており、「相手が家族だとしても、いくら助けたくても」の「ても」は逆接の仮定条件のため、もし家族なら助けるのが当然だ、という内容につながる表現です。
挿入文の「養うなんておかしい」に戻る流れを作るには、【A】〜【D】のどこに入れても直後の内容に続きにくいですが、倒置法のため【C】の直後の「養うなんておかしい」に戻ると考えるのが最も自然です。
悠太が姉に直接しゃべったことばの始まりと終わりを答える問題。
93〜95行目の「あの劇すごくかったから、お姉ちゃんみたいにやれば僕もしゃべれるんじゃないかと思えた」が、悠太が姉に直接しゃべった会話内容に当たります。本文は倒置法のための「『 』」はありません。
姉の気持ちが揺らぐ理由を、悠太の演技がどう作用したかをふまえて答える記述問題。
姉の「家族なんだから」という言葉に込められた思いを問う問題。
「過ぎたことだから全く気にしていない」とか「自営満々に悠太を助ける方向に気持ちが向いている」というわけではありません。一方で、悠太への感謝の気持ちや悠太を支えたいという思いの強さも真剣に伝えたいと考えているため、姉は「僕を真っすぐに見」ながら「私が絶対に助けてあげるから」と言ったのです。アとウは「つらかったこと」に触れたことで「心が揺さぶられた」という内容にふみこんでいないためXです。
悠太の心に「なにかが湧いてくる」と表現された「なにか」の正体を問う問題。
続きの部分で「なにかわからないけど、温かいものだ。とても温かくて、大きくて」(153・154行目)と説明されています。よって「冗大な包容力でつつみこんでくれる姉の、家族(姉)を思いやる気持ち」を受け取った悠太に、「自分が家族(姉)に守られている安心感」が芽ばえたのだと考えられます。
悠太が「僕はバカだ」と思うに至った理由を、二つのポイントをふまえて記述する大問3最大の山場。
本文170・171行目の「僕は、全然がんばってなんていなかった」、182〜184行目の「がんばってなんかいない。つらいとか、わかってくれないとかって、僕は嘆いてばかりだった」が根拠になります。さらに184・185行目「僕にはそれを物得の優しさだと決めつけてはねつけた」「僕を受け入れてくれた人たちを拒絶した」も二つ目の要素として必要です。
本文全体を通した悠太の心の変化として、最も適切なものを選ぶ問題。
悠太はようやく周囲の思いやりに気づき、「がんばろう……がんばらなきゃだめだ。失敗するかもしれない。傷つくかもしれない。ボロボロになるかもしれない」「でもいい。そのときに助けてくれる人たちが、僕にいるんだから。だからもう逃げちゃだめだ」(201〜204行目)と決心します。悠太の心の成長がうかがえますが、もう一つ大切なのは、悠太が限界まで努力することを決心できたきっかけは、姉が真剣に悠太や自分の思いと向き合いそれを伝えてくれたからだということも忘れてはいけません。
大問4 中村桃子『ことばが変われば社会が変わる』(説明的文章)
本文の要旨と出典
出典は中村桃子『ことばが変われば社会が変わる』(筑摩書房・ちくまプリマー新書、2024年7月刊)の第五章「誰が意味をはがされるのか」。社会言語学の入門書で、今回の出題は「名前を呼ぶ人と呼ばれる人のあいだの権力関係」をテーマにした章からです。
本文では、アメリカのテレビ番組のコメディが分析されます。生徒たちは「ジャクリーン」「ブレイク」「デニス」というアングロ・サクソン系のごく一般的な名前を持つ、アメリカ社会の中枢を占める家系の子どもたちです。ところがガービー先生という白人で年配の女性教師は、彼らを名簿にあるとおりに呼ぼうとしません。「ジェイクワリン」「ブレイク」「ディーナイス」と移民風の発音で読み間違え、生徒が訂正しても聞き入れず怒鳴り続けます。
現実のアメリカでは、ふだん名前を呼び間違えられているのは移民や先住民の子孫であり、呼び間違える側はアングロ・サクソン系です。しかしこのコメディでは立場が完全に逆転している――そこに視聴者は笑いと、ふだんは見えにくい「呼び間違えられる側の理不尽さ」を同時に感じ取ります。本来の名前を奪い、人種や民族の歴史・文化を洗い流してしまう行為が、コメディというユーモアの形で告発されているのです。
筆者の主張を対比でつかむ
- ジャクリーン/ブレイク/デニス
- アングロ・サクソン系の典型的な名前
- 「アメリカ社会の中枢を占める」(104行目)
- 聞き取りやすい/ありふれた一般的な名前
- 本来なら呼び間違われるはずがない
- ジェイクワリン/ブレイク/ディーナイス
- 移民風の発音への置きかえ
- 「アメリカ大陸のもともとの先住民」や「移民やその子孫」を思わせる呼び方(58行目)
- 人種や民族の意味が「はぎとられる」
- 本人が訂正しても受け入れられない
本文100行目前後にある「一方」は、筆者の論の背骨になる接続語です。「現実のアメリカ社会」と「コメディの中の世界」を真逆の関係として並べることで、コメディがなぜ笑えるのかという仕掛けが浮かびあがります。58行目と104行目をつなぐこの「一方」の対比を読み取れるかどうかが、大問4で得点を伸ばせるかどうかの分かれ目です。
- 呼び間違えられる側
=「先住民」「移民やその子孫」 - 「それぞれの人種や民族の歴史文化を背負った名前」を持つ人々
- 本来の名前から意味を「はぎとられる」側
- 訂正することすら許されない弱い立場
- 呼び間違えられる側
=「ジャクリーン」「ブレイク」「デニス」 - 「アメリカ社会の中枢を占める」アングロ・サクソン系
- 本来なら呼び間違われる心配のない側
- 名簿どおりに呼ばれて当然の強い立場
視聴者は笑いながら、ふだん見えない「呼び間違えられる側の理不尽さ」を体験する。
筆者の論の展開を整理する
このコメディは何がおもしろいのか? 視聴者には不可解にも映るが、筆者によると二つのポイントがある
ガービー先生の理不尽な怒り方に対して生徒が困り果てさせられるところ(55〜57行目)。「たかが名前に大げさに怒ることによって、視聴者の笑いを誘っている」(113・114行目)
「間違った名前を使う」という権力関係を逆転させていること。「ジャクリーン」「ブレイク」「デニス」は「アメリカ社会の中枢を占める典型的なアングロ・サクソン系の名前」(104行目)。本来なら呼び間違われる心配のない名前なのに、コメディの中では移民風(ジェイクワリン/ブレイク/ディーナイス)に呼び間違えられる
このコメディは、現実に名前を呼び間違えられてきた移民や先住民の理不尽さを、立場を逆転させることでアングロ・サクソン系の人々にも体験させる(102〜107行目)。実際は移民や先住民とアングロ・サクソン系のあいだに「厳然とした権力の違い」(120・121行目)、「移民に訂正することすらのうわされる権力関係」(122行目)があるからこそ、立場を逆転させる「権力関係の逆転」がユーモアとして成立する
大問4 設問解説
冒頭のコメディについて、登場人物の立場から考える問題。
生徒の本当の名前は「ジャクリーン」「ブレイク」「デニス」というアングロ・サクソン系のごく一般的な名前です。ところがガービー先生は名簿どおりに読まず、「ジェイクワリン」「ブレイク」「ディーナイス」と移民風の発音で呼んでしまいます。生徒は呼ばれているのが自分とわからず返事ができないのに、先生は「自分の発音が正しい」と思い込み、生徒のほうがふざけていると勘違いして「わかった、そういうことをするんだな。ふざけんな」(10〜12行目)と怒鳴ります。(問一→ウ)
そのようなことが繰り返されれば、ほかの生徒が「あきらめてしまう場合もある」(66行目)のも当然で、「ティモーシー」と呼ばれたティモシーも決して納得はしていないはずですが、あきらめ半分で素直に「はい」と答えたのでしょう。(問二→エ)
このコメディがなぜおもしろいかを、視聴者の立場から考える問題。
筆者の説明によれば二つのポイントがあります。一点目は「ガービー先生の理不尽な怒り方」に対して生徒が困り果てさせられるところ、二点目は「アメリカで日常的に行われている『間違った名前を使う』という権力関係を逆転させている」(55〜57行目)ところです。(問三→ウ・エが正解)
とくに二点目を読み取るカギは、本文100行目前後の「一方」です。58行目で示された「現実に呼び間違えられる側=先住民や移民の子孫」と、104行目の「アメリカ社会の中枢を占めるアングロ・サクソン系」とが「一方」でつながれることで、「ふだんとは逆の立場が起きている」という構造が読みとれます。この対比を見抜ければ、なぜコメディが笑えるのかが理屈で説明できるようになります。
名前を置きかえる行為が何にあたるかを、本文の表現から抜き出す問題。
筆者は「ことばが持っている意味をはがす行為だ『意味の漂白』の一例だ」「先住民や移民の子孫の名前をアメリカ読みにすることは、それらの名前に与えられている人種や民族の歴史や文化を洗い流してしまう行為だ」(128〜131行目)と述べた直後で、「『千と千尋の神隠し』の湯と同様に、『名前を奪う』こと」は「絶対的支配を象徴」(126〜127行目)するものだとし、結果として「『外から来た人』を見えなくしている」(131〜133行目)と分析します。98・99行目から、「つまり、アメリカ社会の権力関係が、そのまま、だれが、自分の名前から人種や民族の意味を『はぎとられる』かを決めている」(98〜99行目)が指定字数に合致します。
本文では、本当の名前が「ユソ」である人物が、相手に名前を聞かれたときに「ジョン」と答えてしまうエピソードが描かれます。本当の名前を答えても聞き返されたり「ジュディ」などと言い直されたりするため、聞き取りやすく言い直されない名前を答えた方が面倒がない――そんな理由を、対比的に整理して書く12点の最重要記述です。
この記述は「本当の名前」と「置きかえた名前」を対比的に説明できているかが最大のポイント。一方だけしか書かないと点が大きく減ります。さらに「面倒が省ける」「手間が減る」という理由部分もはずせません。3要素すべてが入ってフル得点になるタイプの問題です。
「間違った名前を使うことの権力関係の逆転」について、最も適切な説明を選ぶ問題。
選択肢のうち、イは「先住民や移民の本来の名前を呼ぶ生徒たち」という記述に誤りがあります。呼び間違えられる側はアングロ・サクソン系の名前を持つ生徒たちであり、移民や先住民の系統に属する人たちではありません(→×)。ウは「明確な支配関係がある場合」「対等な場合」といった本文に記されていない条件で論じている点が×。エは「相手を意のままに操る」意図があるかのように読み取れますが、本文の主張は「権力関係を逆転させてユーモアで伝える」ことであり、操作の意図とは違います(→×)。よって正解はアです。
本文全体の論をまとめた問題。3か所の空欄に最適な語句を入れる。
104行目「アメリカ社会の中枢を占める」、120・121行目「厳然とした権力の違い」、122行目「移民に訂正することすらのうわされる権力関係」がそれぞれの正解です。本文の最後で筆者がまとめている表現を、適切な字数で抜き出せるかが問われています。
本文全体の論旨をふまえて、内容と合うものを選ぶ問題。問四(「はぎとられる」の抜き出し)・問七(中枢を占める/厳然とした権力の違い/訂正すること)からの流れでとらえる必要があります。問六まではコメディの仕掛けが中心テーマでしたが、問八で問われているのはコメディが象徴している筆者のより深い主張──「名前を奪う行為は絶対的支配の象徴であり、人種や民族の歴史・文化を洗い流してしまう」という本質です。
筆者は最後の段落で、「名前を奪う」ことは「絶対的支配を象徴する」(126・127行目)ものであり、アメリカでも「名前」を操作することで「社会を理解する枠組みを操作」(133・134行目)し、結果として「外から来た人」「アメリカ社会にはさまざまな文化が混ざり合っていること」を「見えなくしている」(131〜133行目)と分析しています。「意味をはがす」「意味を洗い流す」「意味がはぎとられる」「意味の漂白」といった比喩は、すべて「名前の持つ文化的・歴史的な意味を軽んじてないがしろにしている」状況を表す表現です。
選択肢の検討:
- ア:「言い間違えられた生徒たち」を「移民や先住民の系統に属する人たち」としているが、本文ではアングロ・サクソン系に属する名前の人たちです(→×)
- イ:「両者に明確な支配関係がある場合、被支配者側が訂正できる」場合や「両者が対等である」場合についてはそもそも本文に述べられていないため、一概に決められません(→×)
- ウ:「千と千尋の神隠し」の湯婆婆と千尋には支配関係が存在しますが、飼い主が飼い犬と違う名前で呼んだとしても、「相手(=犬)を意のままに操る」意図があるわけではありません(→×)
- エ:名前を呼ぶ・呼ばれる関係が「人種や民族の意味をはぎとる」絶対的支配を象徴し、文化や歴史を洗い流してしまうという筆者の本質的な主張に合致するため正解(→○)
まとめ ─ 6年生のこの時期に意識すべきこと
今回の組分けテストは、大問3も大問4も「相手のことばや態度をどう受けとめるか」が共通テーマでした。物語文では悠太が姉の真剣な思いを少しずつ受け入れて成長する姿が、説明文では「名前を呼び間違える」という小さな行為に潜む権力関係が描かれていました。
記述問題はどちらも「要素分解」がカギです。大問3問六なら「決めつけ+拒絶+情けなさ」、大問4問五なら「聞き取りにくさ+ありふれた名前のメリット+面倒が省ける理由」と、必要な要素を一つひとつ確認しながら書く習慣をつけましょう。
6年のこの時期は、選択肢の見極め精度よりも記述で部分点を確実に取る力が偏差値に直結します。模範解答を音読して「どんな要素が入っているか」を分析する練習を、今日からぜひ取り入れてみてください。
